昭和生まれの昭和教育、職人の家庭で育ち…という話は先だってお話させていただきましたが、そんな私がこの年まで悩まされた劣等感。こいつはただものじゃねえぜ。

いつも人の顔色を窺い行動し、気を使い、他人にどう見られているかを常に意識し、よく見られたいと思い、人に話を合わせ、面白くもないのに笑い、自分の気持ちを押し殺し、YESと言ってしまい、周りの人間を敵対的に思い、他人のすること言う事にいちいち反応し、神経を尖らせている。etc.…もう病気なんですよ。非常~に疲れる。限界オーバーやねん。

バカじゃないのか⁉と思いますよね⁉でも結構多いんですよ、当たり前のように。結論から申しますとこの症状ってきちんと反抗期ができてない人がほとんどだそうです。しかも劣等感って放っておくと危ない病気だそうです。自分を最悪の事態に追い込んでしまうからだそうです。私も未だにその気が残ります、以前ほどではないですが、気分が上がらない時などやばいです。

私の場合、生い立ちを軽く説明させて頂きましたが、生まれてこの方幼少期より褒められたことがないんです。

もちろんゼロではないのですが、言葉で誉められたのは中学のサッカー部顧問の先生(超スパルタ)、会社の上司、母親(これ微妙、自分で誉め言葉と思っている)と言葉ではないけれど行動や評価・待遇で認めてくれた人、中学のサッカー部顧問の先生、高校の担任、夜学時昼間バイトしてた時の大先輩、会社の上司(のちの仲人)とかかなあ、というように数えられる程度です。ここで上げた方々は私の存在価値を認めてくれた方々なので記憶が濃いです。

親からは例え自分が手柄をとるようなことがあったとしても、「それはお前の力じゃない、皆の力だ」とつねに言われてきました(言いたい事はわかるけど頭ごなしにずっとだとね)学生時代からは成果だしても「もっとできるはず」と私には言われてしまうのよね(笑)でも親や当人はまるで自分の手柄のように周りにはそういう態度をとってるの。

とまあこんな感じが5,6歳からずっと続いてたわけです(笑)でもねこれがね絶えず自分の事より人の目を評価をより気にしてしまう結果になっていくのよ。まさに承認欲求が強くなって、イイネ👍下さい!みたいな(笑)そうするともうどんどん本線から外れていって自己嫌悪の塊になっちゃう。

劣等感から逃れられずいつまでたってもコンプレックスの私はとにかくこの手の本を読みまっくったのでした。セミナーや講演会にも参加してみました。中には心理学からちょっと宗教的⁉占い的⁉なものまであったけど、たくさんある原因の中で、共通項は前述した反抗期不完全をはじめとする幼少期に親から受けた教育。

これを克服するには今反抗期やれ!と書いてあるものが多かったです。おふくろのバカヤローとかクソばばあと大声で言えっていうんです。他の克服事項もそうなんですけど、その時は効果効いているのですが、中々続かなくて。やはり他人と比較してしまうし、自分てダメだなって思う。承認欲求も強いのでしょうね。

要は自尊心や自己肯定感を高めないといけない。目標・目的がはっきりあってそれに向かって行動していればそんなコンプレックスを気にしている暇もないでしょう。夢中になれていないことが原因だと思います。自分がまず自分の幸せになる為に行動をしていくという事でしょうか。この年になってもこんなこと考えているんだから困ったもんだ。

でも、それでこれまでやってきたのだから逆に言えばすごい事だよ。そう、そんな自分を好きになっていい。今と未来を考えよう!

自分はこれまでもよく頑張ってきた。よくやってきた。立派だ。と認め、瞑想をし、自信を持っていつも穏やかで堂々としていたい。まだまだこれからだよ人生は。人はいつからでも変われる。

頑張らない生き方をしていきます。自分らしく。これはまた意味が深いのでいずれまた。

Follow me!