この度の訃報を新聞で読み大変驚きました。心よりお悔み申し上げます。

今から3年前、「50代から始める知的生活術」という題名を見て、外山先生の本を手に取った時が始まりでした。52才の時です。

外山先生と言えば「思考の整理学」がお馴染みだと思いますが、私は50を過ぎ、おひとり様になり今後をいろいろ考えている最中に、ビジネス本や自己啓発本など読み漁っているなか、この本の題名が目に留まり、読んでいるうちに気づかされることばかり。

今日の読売新聞の編集手帳にも取り上げられており、その記事には「大学で教えた英文学より社会や生活に向けた著書が多い。ときにあいさつ、電話のかけ方など礼儀やマナーにも評論は及び、広く深い視野と知性から小言風に述べるのが外山流だろう、(中略)人生の何事かに気づかされた人も少なくないのでは⁉」と書かれている。まさに気づかされた人の一人になった私です。

96歳で他界されましたが、このお年(失礼)の方の多くは昔時代の考え方で柔軟性がなく現状を受け入れない方が多いイメージがありますが(あくまでも個人的意見です)先生は逆で年齢を感じさせない行動と思考が多くの人の心に響いたと思います。

それまで外山滋比古さんことを知らなかった私が先生の著書を探しては読ませて頂きましたが、生き方、生きる上での考え方を教わり、自分は大きな影響を受けました。

特に印象強く好きなのは「人生は二毛作」そして先生が引用された句で「濱までは海女も蓑着る時雨かな」がありその解説を、「これほど深みのある句は無いと私は年来、信じています(中略)海女は浜へ着けば、海に入る身、濡れることはわかっています。時雨が降ってきても、どうせ、すぐ濡れるのだから雨に濡れていこう、などというつつしみのない考えはしない。やがて濡れる身であることはわかっているが、それまでは濡れないように蓑を着て我が身をいとう、大切にするというのです。

どうせ、という弱い心をおさえて、我が身をかばい、美しく生きるたしなみ、それが人間の尊さであるのを暗示しています。”濱”を”死”に読みかえることができれば、この句の意味はいっそう深くなるでしょう。人生を二度生きようとするには、この”どうせ”という考えを捨てて、わが身を大切にして進む心がなくてはなりません。(中略)現代に生きる人間にとっても多くのことを考えさせます」

と、書かれています。私は深い感銘を受けました。もちろんもっともっと、他にもたくさん感銘をうけたものはあるのですよ。その中でもこれは響きました。私は読んだ本は手元から無くしてしまうのですが(読みたくなったらまた購入します)外山先生の本は今でも手元においてあります。

私が言うと薄っぺらいものに感じてしまいますがw、まだ読んでいないという方がいらっしゃったら是非!お手に取って読んでいただくことをお勧めします!私にとっては人生の教科書になりました。

外山滋比古先生、どうもありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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