幸せ論なるものは数知れずありますが、自分が幸せを感じる為に、何かに頼っていると危険です。
例えば一番は人・人間です。この人がいるから私は幸せだと感じること。これはもちろん良い事なのですが、友人であれ家族であれ、その人を失ってしまった時に自分が崩壊してしまいます。年老いた夫婦で奥さんに先立たれ、抜け殻になってしまうケースはよく耳にすると思います。
ペットなどの生き物もそうですね。こころの支えや尊敬、目標として心の奥に携えておくことは良いと思います。今置かれている環境もそうですし、物品に対してもそうですね。変化していったときに自分の心が対応できれば問題ありませんが、相手や環境が変わっていくのに、それを失うのが怖くて、頑なに元のままを維持しようとすると精神が崩壊してしまいます。
何を持って幸せなのかは人それぞれで、それを誰も意見する権利はありません。ただ、一人あるいは一つだけに想いを委ねてしまうと先に申し上げた危険があるということなのです。したがって複数持ちあわせるのが良い選択なのではないかと私は思います。
心の支えになるものを意識してつくるというよりは、夢中になれる物をつくっておくということでしょうか。趣味でもなんでもよいですね、一つだけでなく複数持っていることが自分を飽きさせないし、気が付くと時間が足りないことになっているのではと思うのです。人との繋がりもしかり、コミュニティも複数参加するのも有りですよね。また自分から発信するというのも面白いです。
愛する人と過ごす時間や、家でボーッとしている時間に至福を感じることもあるでしょうし、お花を見たり、自然の中でお茶を飲んで幸せを感じることもあります。エンターテインメントで幸せを感じたりもします。芸術だったり、スポーツだったり、機械を触ったり、食事をしたり、散歩をしたり、あげればキリがありませんよね。自分が実感できればそれでいいんだと思います。
この気持ちに年齢は関係ありません。「もう○○歳だから」と言った瞬間に老け込み、人生の幕は降りるのです。サミュエルウルマンの言葉を思い出してください。私自身もパッションは変わりありません、生涯自力で人生を楽しんでいくし、楽しんでいます。先が不安だからと保険にお金など払いません。宣伝してるような薬に高いお金など払いません。自分の体を鍛える整える為に投資していきます。何十年後に笑顔でいるのは私です。