世間を知らぬと不幸になる 早く(若いうちに)知ること
こんばんは、ヨシです
ブログ当初にも自分のことお伝えしたのですが、僕は典型的昭和の一般的家庭人で大工の親父と肝っ玉母さんの決して裕福ではないが貧しくもない家庭で育ちました(少しお金に余裕がないんだなってことはいつも感じてました)
両親は元々長野県に住んでいて東京に出てきてから僕が生まれました。一人っ子で可愛がられて育ちましたが、サラリーマン家庭と違い職人家庭の我が家では世間をあまり知らず(職人だからという訳ではなく、うちの親の場合だと思う)人生も教育に関しても時間の流れにまかせていたような感じです
生き方について何か教えられたこともなく、どのように進んでいくのかなんて考えたこともなかったし、自分も気づかなかった、いや気づけなかった。友人が受験すると聞いても(* ̄- ̄)ふ~んという感じだったし、僕は自動で何かになるのかな?wなんて思っていたくらいだw
困ったことがあっても相談するってことすら分からずに自分で考えていたし、褒められたこともない、お金に泣かされる親を見て悲しく何故なんだと感じ、人の顔色を窺うようになり、思えば幼少期から独りで生きていく宿命だったのでしょう
労働力を売ってお金をもらうことしか知らない自分が、気づいた時には中年になっていたよwww笑い事じゃないけど
昭和時代なら通用したかもしれないけど、30過ぎからあからさまに世の中が変わってきた。そうPCの普及、というよりインターネットの普及だ。その時代はSEが仕事でしか使わなかった常識が一般人も当たり前に使えるようになった。僕もPCには早く触れた方だと思うが、この頃から世間や世の中の仕組みが人生に影響することを考え始めた
自分の人生をフィードバックし始め、仕切り直しを試みようとするが時に流される。勤めていた会社はM&Aされ解体された。合併される1年前に転職をした、35の時だ。家庭も持ち子供も小さかったのもあるが我武者羅に働いた。気づけば40を過ぎていた。
生活は満たされていたが、将来に不安を感じ始めていて自分の棚卸と情報収集を始めた。定年以降も見据えて自分のやりたいこと、反面現実的なこと、ライフステージを考え模索していた。もちろん思うようには進まない。バカはバカなのだ。それでもバカなりに歩んでいく。前述で我武者羅に働いたとお伝えしたが、そんな折、51の時離婚する。円満⁉離婚ではあったが、正直奥さんを始め子供達には申し訳なかったと未だに反省している。現在も連絡はとっている。
それ以降、紆余曲折しながら舵を切る。母親が倒れたり、事業が軌道に乗らなかったり、詐欺につかまったり、転職活動したりと安定させた人生基板をまた崩してしまったりと物語は自分の思う展開にはならないw もちろん楽しいこともある。考えればそれ自体がいろいろな経験として楽しいのだ。反面、この世から消えて無くなりたいとも思っている
何が必要か⁉何を身につけておくべきか⁉どんな知識が必要か⁉世の中の仕組みやお金の使い方、人との繋がり方、今世界はどうなっているのか⁉この先予測されることはどんなことか⁉
これらが分かっていても出来ないこともある。プラットフォームを作る側になれなくても、知っているだけでも大事なことです。知らなければ本当に茹でガエルになってしまうけど、知っていれば対処はできる。何歳になろうが、人里離れて仙人のような暮らしをしようが、無関心になってはいけない。社会から遠ざかってはいけない。
何処に居て、どんな暮らしをしようが、自分に対して興味を失くしてはいけない、世の中に興味を失くしてはいけないと思っています。生きている限りそれだけで価値があるのだから、その価値を高めるばかりです。
明日もあなたにとってかけがえのない一日でありますように